record:01.まどろみとメロディ

あなたを忘れることは
自分を否定すること
長い長い時が流れて
いずれこの世界が
あなたを拒絶し
忘れようとも
わたしの世界に色をくれた
あなたの優しさを
わたしは決して
忘れない

そよ風が、木々の枝を撫でるように揺らし、紅く色づいた葉を優しく落とした。
はらはら、はらはら。と一枚ずつ。
わずかに異なる色の葉が落ちる様子を、空の色と似たその青い瞳にとどめると、ヨーダはまだ夢の中へいるような気持になった。
固い土の上で寝ていたせいか、起き上がると首や肩が傷んだ。
とても長い夢を見ていたような気がする。
内容はあまり覚えていないが、夢の中で誰かが歌っていた。
その声が、ぼんやりと耳の奥に残っている。
とても心地が良くて、けれどとても切ない。そんなメロディだった。
どこかで聞いた歌が、頭に残っていたのかな?
ヨーダは思い切り伸びをする。そうして立ち上がり、燃え上がるような紅葉が広がる丘の上から街並みを見下ろした。

赤いレンガ造りの家々が立ち並ぶ、世界から孤立した小さな街。
過去の戦争で落とされた爆弾のせいで、街の中心が枯渇した湖のようにえぐれている。
その様子から、外部の人間はこの街を「ドーナツ街」や「ベーグル街」と呼んでいるらしい。
街の正式名称も、皮肉なことに戦前から「ベーグルノーズ」という。

ヨーダは、カラスのような自身の髪色と同じ黒い服のフードを深くかぶり、ズボンのポケットから銀色の懐中時計を取り出した。
そうして時刻を確認すると、紅葉の舞う丘を後にした。

懐中時計の示す時刻は、午後四時半だった。
丘をくだり、林を抜けて、陽が落ち始めた街の大通りを走る。
均等に並んだガス灯が、自分を追いかけるように明るくなっていく。
そんな大通りの真ん中で、ヨーダは足を止めた。
目の前には、街に一軒しかない喫茶店がある。
ドアの横に立てかけてある看板には、「カルペディエム」の文字と、白いバラが描かれている。
ヨーダはその看板横にあるランタンへ火を灯した。

「それでね、私がいくらやめなさいって止めてもきかないの。もう、どうしたらいいのか……」
ヨーダが店の中へ入ると、祖父のコルトと話をしていた女性が振り返った」
「こんばんは」
曇り空のような灰色の長い髪と、切れ長の目。弧を描く美しい唇が印象的な若い女性だ。
最近頻繁に店に訪れ、店主である祖父に相談事を持ち込んでくる。彼女はヨーダの両親ととても仲の良かった友人だとコルトは言う。
軽く会釈をして、ヨーダはその女性の横を通り店の奥へと足を進めた。
すると、フードが何かに引っ張られた。ヨーダはそれを振り払う。
「ほうら、うちも似たようなものさ。この通り」
振り返るとコルトがフードを引っ張っていた。ヨーダはコルトを睨みつけながら、その手を振り払った。
そうして店の奥へと引っ込んだヨーダは、店とつながっている自宅の洗面所へ向かった。
水道の蛇口を大きくひねるが、勢いよく水が流れ出るわけではなかった。細く流れ出る水を両手にためて、顔を洗う。
洗面台の横に置かれたタオルで顔を拭いて、ヨーダはふと正面の丸い鏡を見た。
そこに映るのは、ひどく不機嫌そうな青い瞳の少年。
ヨーダはこの青い瞳が大嫌いだった。

この街よりはるか遠く。
東の海を渡ったその先に、とある少数民族の住む村があった。
その民族の名は「アルト」という。
この世のすべての色を落とし込んだという、きらびやかなビーズ刺繍の民族衣装をまとい、ヨーダと同じように黒い髪と青い瞳を持つ。
その青い瞳に、アルトの秘密があった。
ヨーダからすればただの青い瞳であるそれは、人々から「真実の瞳」と呼ばれていた。
真実の瞳は、見る側の心に問題があると青い瞳ではなく、違った色を見せる。
それはとても恐ろしく、深く暗い闇の色だという。
例えば、嘘をついたり、隠し事をしたり、人を憎んだり陥れようとしたり。そういった負の感情を持つものが真実の瞳を見ると、幻覚を見せたりもする。不安定な心を追い詰めて、精神を破壊するといわれている。
そんな真実の瞳を持つアルト民族は、世界中から嫌われていた。数年前には住む村を焼かれ、生き延びたアルトたちは今、世界の片隅でひっそりと人目を忍んで生きているという。

ヨーダはタオルに顔をうずめると、当たり前だ、とつぶやいた。
どこの世界に、嘘をついたり、隠し事をしない人間がいるものか。
人を憎むことだって、生きていれば一度くらいあるものではないのか。
そんな当たり前の感情を、無条件に、さも悪いことのように裁いては、人から嫌われて当然だ。

父がアルトの民だった。
けれどヨーダは父のことをよく知らない。
父はヨーダが生まれる前に死んだ。母は父の死後、十五の歳でヨーダを産んだ。
母は父のことを多く語らなかったが、この瞳を決して隠して生きるなとヨーダに言い聞かせていた。
三年前、ヨーダを置いて行方知れずになってしまった日の朝まで、毎日だ。
突然途切れてしまったその言葉を、これからどう受け止めればいいのか。
ヨーダにはそれがわからなかった。
途切れた言葉を受け継いだのは、祖父のコルトだった。
コルトはヨーダをカルペディエムの客前に引っ張り出し、たびたび店番をさせた。
ヨーダが店番をすると、途端に客足は遠のいた。
それでも、コルトはヨーダを店の奥から引っ張り出し、レジ前に座らせた。
母のように口に出して言うわけではなかったが、ヨーダが顔を隠すことを許さない。
だからそういうことだろう。と、ヨーダは理解していた。

だれも訪れない店の中。ただぼんやりとショーウィンドウの中から行きかう人々を眺めていた。
賑やかに通り過ぎる、自分と同じ年頃の子供たちを見ていると、ひとりぼっちが協調される気分になった。
まるで、自分のいる空間だけが別世界だ。
きっと、みんな自分のことが見えていないに違いない。
自分は確かにこの世界で生きているのに。母も自分が見えなくなってしまったから、自分を置いてどこかに行ってしまったのかな。この世界の、幽霊みたいな自分に愛想を尽かせて。
そう考えると、妙に納得できたが、心は急速に冷えていった。

顔を拭いて再びフードをかぶると、ヨーダは二階の自室へと向かった。
「待ちなさいヨーダ。ちょいと話がある」
階下からそう呼び止められて、ヨーダは足を止めた。
階下を見るとコルトが手招きをしていた。けれどヨーダはその場から動かなかった。
「今日はもう店じまいにして、これからエルの家に行ってくるんだが、おまえも一緒に行かないかね?」
コルトはサンタクロースのような白ひげを撫でつけながら、ヨーダに言った。
なぜ自分が? ヨーダは返事をせず黙っていた。
「……なぁに、無理にとは言わんよ。ただおまえなら、何かわかるんじゃないかと思っただけだ。じゃあわしは行くから、戸締りをしておいてくれ。夕飯も先に食べてくれ」
そう言って、コルトは店の入り口から出ていった。ヨーダは階段を降り、入り口に置いてあったランタンの灯を消し、ドアのカギを閉める。それから店内の灯りを消した。

先ほどまで店にいた灰色の髪をした女性は、名をエル・ゼルウィガーという。
エルには、ヨーダと同じ年頃の子供がいるが、ヨーダはまだその子供に会ったことがなかった。
この世界にたった一人。風を司る魔法使いだというその子供は、希少価値の高さから「キュリカ」という小さな城の中で大切に育てられているらしい。
コルトはカルペディエムの店主であり、この街にただ一人の医者でもある。
そんなコルトのもとには、時折街の住民がやってきて、様々な相談事をしていく。
そのほとんどが自分たちで解決できるような些細な事なのだが、内容云々より、とにかく誰かに聞いてほしい。ということなのだろう。
コルトが用意していった夕食を自室に運びながら、ヨーダはそんなことを考えていた。
部屋に入り、窓際の机に食事を置く。
窓の外を見やると、夜空に幾つもの星が輝いている。
そんな星の輝きさえ、わずらわしさを感じてしまう。
ヨーダは窓のカーテンを静かに閉めた。
夕食をそのままに。暗い部屋のベッドに横たわる。
そうしてそっと目を閉じた。光るもの、色づくもの。そういったものを見ていると、自分だけが色あせていくように感じる。
いや、もとより自分に色なんてないのだろう。

閉じた瞼の裏で、今日丘の上で見た紅葉が揺らぐ。夢の中で聴いた歌声が、まるで水面に露が落ちて円を描くように広がり、響く。
ヨーダはその光景に不安を感じながら、眠りについた。
耳に残っていた歌声は、次第に霧の向こうへと隠れていってしまったようだった。

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